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施設の外へ移る暮らし、脱施設化(Deinstitutionalization)

大きな建物に多くの人を集め、一括してケアする方法が、長い間、福祉の基本のように考えられてきました。規則は一定で管理もしやすい一方、そこで暮らす人は、いつ寝るか、誰に会うかさえ自分で決めることが困難です。施設を縮小・閉鎖しながら、地域社会で暮らせるよう支援の場を移していく流れを、社会福祉学では「脱施設化(Deinstitutionalization)」と呼びます。

脱施設化とは、簡単に言えば「大規模施設を中心とする保護を減らし、当事者が地域で普通の日常を送り続けられるよう、住まい・ケア・人間関係を組み直す過程」を意味します。単に建物から人を退所させることではなく、施設が担っていた役割を地域のサービスや近隣のネットワークで代替することが核心です。精神科病院や障害者入所施設への批判、人権運動、そして地域ケア政策が結びつき、20世紀半ばから世界に広がりました。

本資料では、脱施設化の意味と登場の背景から、推進を支えた力と基本原則、国ごとに異なる経験や弊害、そして地域社会の支援に必要な条件まで、順に見ていきます。


施設を超える福祉、脱施設化の論理と実践

脱施設化とは何か?

明るい小さな居間から、開いた玄関の向こうに木々と住宅街の通りが見える、日常の住まいの様子

脱施設化は単一の制度の名前ではなく、施設中心の仕組みを変える長い過程です。一般に、精神科病院・介護施設・障害者入所施設のように、日常のすべてが塀の内側で管理される空間は、「全制的施設」に近い環境と捉えられます。食事の時間、外出、人間関係が組織の規則に縛られると、治療が目的であっても自律と尊厳は損なわれやすくなります。

  • 全制的施設(Total Institution):アーヴィング・ゴフマンが提唱した概念で、睡眠・仕事・余暇が同じ空間の規則の下にまとめられた生活環境を指します。
  • 地域ケア(Community Care):施設の外の地域で、医療・福祉・日常生活の支援を継続できるように組み立てるケアの仕組みです。
  • 施設間移行(Transinstitutionalization):大きな病院を出ても、介護施設・刑務所・路上など、別の閉鎖的な空間へ移るだけにとどまる現象を指します。

ゴフマンの『アサイラム(Asylums)』(1961)は、精神科病院が人を「患者役割」に固定する過程を明らかにし、その後、施設を人権の問題として捉える見方が広がりました。脱施設化は、その批判を政策に移したものを表す名称に近いといえます。


何が脱施設化を後押ししたのか

窓ガラスとスロープのある地域精神保健・福祉センターの入り口が、朝の光の下に静かにたたずむ様子

さまざまな力が重なり、施設中心の仕組みが揺らぎました。薬の登場、人権や法律の変化、費用と効果への問いかけが同時に作用しました。

(1)治療と権利意識の変化
1950年代に抗精神病薬が導入されたことで、一部の患者は病院の外でも症状を管理できるようになりました。同時に、公民権運動や障害者の権利運動は、「保護」の名の下に自由を奪う慣行を問題視しました。

(2)アメリカの地域精神保健センター法
1963年、ケネディ政権は地域精神保健センター法(Community Mental Health Centers Act)を成立させ、大規模な州立病院に代わって地域のセンターを育てようとしました。趣旨は明確でしたが、その後、連邦政府の支援が不安定になると、地域サービスが十分に人を受け入れられないという穴が生じました。

(3)イタリアのバザーリア法
1978年、イタリアは法律第180号、いわゆるバザーリア法(Basaglia Law)により、公立精神科病院への新規入院を禁じ、地域サービスへの転換を義務づけました。1978年に約7万8千人だった公立精神科病院の入院者数は段階的に減少し、2000年頃に解体が完了したと整理されています。

(4)国際人権の言葉
2006年の国連障害者権利条約(CRPD)第19条は、障害者が他の人と平等に居住地を選び、地域社会に包摂される権利を明記しています。施設から出ることを「恩恵」ではなく「権利」として捉える根拠となりました。


身近な事例で見る成果と影

日当たりのよい地域の広場のベンチで、近隣の人々が自然に語り合う日常の街の風景

同じ「脱施設化」でも、国や対象によって結果は大きく分かれます。施設を減らす速度と地域の支援を充実させる速度がかみ合わなければ、自由と放置が同時に生じることがあります。

[事例1]病院を減らし、地域で受け入れたイタリア

バザーリア法以降、イタリアは一般病院内の小規模な病床と地域精神保健センターを軸に、急性期への対応を再編しました。強制入院は厳格な要件の下に制限され、「危険だ」という烙印によって人を閉じ込める論理を弱めようとしました。このモデルは、ラテンアメリカの精神保健改革にも影響を与えました。

[事例2]支援のないまま退所した先の空白

アメリカでは州立病院の病床が大幅に減りましたが、地域のセンター・住まい・ケースマネジメントの整備が追いつかない地域が多くありました。ある人は介護施設へ、ある人は矯正施設へ、またある人は路上へと移りました。施設を閉鎖するだけでは暮らしが自動的によくなるわけではないという、痛切な教訓です。

  • 自立生活(Independent Living):障害者が専門家の決定だけに頼らず、自ら選んだ支援を受けながら地域で暮らすという考え方です。
  • 支援付き住宅(Supported Housing):一般の住まいと必要な支援サービスを分けて提供し、住まいと治療をひとまとまりの条件として結びつけない方法です。
  • パーソナルアシスタンス(Personal Assistance):日常生活の援助を、当事者自身が援助者を雇用・管理する形で受け、施設の規則ではなく個人の予定に合わせる支援です。

韓国でも2000年代半ば以降、障害者の脱施設運動が拡大し、自治体の計画や中央政府の自立支援ロードマップ・モデル事業へとつながりました。ノーマライゼーションの原理が「普通の暮らしの条件」を示すものだとすれば、脱施設化は、その条件を妨げる施設の構造を実際に解体・再配置する政策過程に近いといえます。


地域へ移る際に必ず整えるべきもの

小さなアパートの食卓で、訪問したソーシャルワーカーがお茶とノートを置き、落ち着いて相談に応じる場面

脱施設化を成功させるには、扉を開くことと同じくらい、扉が開いた後の暮らしを支える仕組みが必要です。社会福祉の実践では、次の要素を一体として捉えます。

(1)安全な住まい
一時的なシェルターや大規模な共同生活だけでは不十分です。当事者が暮らし続けられる家と家賃の支援がまずあってこそ、次の支援につながります。

(2)途切れない支援
医療、精神保健、パーソナルアシスタンス、雇用、移動の支援を、本人があちこち探し回らずに済むよう、ケースマネジメントでつなぎます。昼はセンターがあっても夜は空白になる体制は、危機を深めます。

(3)選択と人間関係
どこで暮らすか、誰の助けを受けるかを、当事者が選べなければなりません。近隣の人・仲間・家族とつながる関係がなければ、地域で暮らしていても孤立は残ります。

(4)資源の移行
施設の予算も併せて地域サービスへ移さなければ、「施設閉鎖」はそのまま「サービス削減」になります。建物を空にするだけで、人はそのままにしておくようなものです。

脱施設化の成果は、短期間で退所を進めた実績では証明できません。退所から1年後、3年後にも住まいを維持できているか、望む日常の活動に参加できているかが、より正確な成績表となります。


脱施設化は、施設というひとつの空間に暮らしを閉じ込めず、地域で生きる権利と支援を再配置しようとする、社会福祉の大きな転換です。薬や法律、人権条約、現場の運動が重なって世界に広がりましたが、地域ケアが欠けていれば、別の形の隔離だけを残すことにもなりかねません。

塀を取り壊した後、そこに何を植えるのかまで併せて設計すること。それが、人を中心に据えた脱施設化の第一歩です。

脱施設化の概念図。施設中心から地域社会中心へと転換し、当事者の選択を中心に、住まい、日常生活の支援、医療・ケア、人間関係・参加がつながる。
脱施設化は、住まいの移行とともに、選択権と地域社会の支援を整える過程です。概念図であり、サービスの構成は個人のニーズによって異なります。出典:国連障害者権利条約第19条。