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みんなのものが誰のものでもなくなるとき、コモンズの悲劇(Tragedy of the Commons)

村の真ん中に、誰でも牛を放して草を食べさせられる広い草地があると考えてみましょう。牛をもう一頭放せば、その利益はすべて自分のものになりますが、草が減ることによる損失は村人全員で分かち合います。それなら、誰でも牛をもう一頭放したくなるでしょう。

このように、多くの人が共同で使う資源を、それぞれが自分の利益だけを考えて利用した結果、誰も使えなくなるほど損なってしまう現象を「コモンズの悲劇(Tragedy of the Commons)」と呼びます。

本資料では、コモンズの悲劇とは何か、なぜ起こるのか、実際にどのような場所で起きたのか、そして、それを防ぐためにどのような方法が議論されてきたのかを順に見ていきます。


コモンズの悲劇を理解する

みんなの草地が消えていく物語

共同牧草地を使って説明したコモンズの悲劇の概念図。上段は、利用を制限するルールがない場合、追加の利益は個人に、資源の減少に伴う費用は共同で負担することになり、利用総量が再生能力を超えると資源枯渇の危険が生じる過程を示す。下段は、利用量の合意、利用状況と資源の状態の監視、利用者の参加による共同管理の要素を示す。共有そのものが必然的な破壊を意味するわけではなく、管理の成果は地域の条件や制度設計によって異なることを明記している。
利用を制限するルールがなく、追加利用による利益と費用の負担が分かれていると、過剰利用の危険が生じる。共有資源は、利用者がルールを作り、監視・調整する方法で管理することもでき、その成果は資源や制度の条件によって異なる。
何頭もの牛が草を食べ、ところどころ地肌がむき出しになった村の共同牧草地

コモンズの悲劇という言葉は、アメリカの生物学者ギャレット・ハーディンが1968年に学術誌『サイエンス』に発表した論文によって広く知られるようになりました。ハーディンは、1833年にイギリスのウィリアム・フォースター・ロイドが紹介した共同牧草地の話を借りて、この概念を説明しました。

物語に登場する牧夫たちは、みな合理的に行動しています。牛をもう一頭増やすと、その牛を売って得られる利益はすべて自分のものになり、草地が傷むことによる費用は複数の牧夫で分担するからです。そのため、それぞれが牛を増やし続け、ついに草地は誰も使えない裸地になってしまいます。

ここでいう「悲劇」は、誰かが悪い人だから起きる不幸を意味するものではありません。それぞれが賢く計算した選択が積み重なり、避けようもなく悪い結果へと向かうことを意味します。このような考え方は昔からあり、アリストテレスは、最も多くの人が共有するものほど、最も関心を払われないと述べました。


なぜ共同で使う資源は損なわれやすいのか

果物の入った器に向かって複数の手が伸びている木製の食卓

経済学では、コモンズの悲劇が起こりやすい資源の特徴を、次のように説明します。

(1)制限しにくい利用
誰でも入って利用できるため、特定の人の利用を阻むことが困難です。

(2)減っていく資源
ある人が使った分だけ、ほかの人が使える量が減ります。

(3)分散する費用
利益は利用した人に帰属しますが、損失は全員に少しずつ分配されます。

経済学では、このような資源を「共有資源(Common-Pool Resources)」と呼びます。海の魚、地下水、きれいな空気が代表例です。

一方、家の前庭のように所有者がはっきりしている土地では、このようなことはあまり起こりません。所有者が草の生える速さを見ながら牛の数を調整し、土地が荒れたときの損失もすべて自分で負うからです。結局、問題は資源そのものではなく、誰も責任を負わない利用の仕方にあります。

そこに「自分一人くらいなら」という考えが加わります。自分が節約して使っても、ほかの人が好き放題に使えば自分だけが損をするという計算が働くため、互いに先に、より多くを手に入れようとする競争が起こります。


身近にあるコモンズの悲劇

晴れた空の下、網いっぱいに魚を捕った漁船

最もよく知られている事例は海です。カナダのニューファンドランド島沖にあるグランドバンクは、長い間タラが豊富な漁場でしたが、大型漁船が競って漁獲したことでタラの数が大きく減りました。ついにカナダ政府は1992年、タラ漁を停止する措置を取り、これによって多くの漁業者が仕事を失いました。

大気汚染や気候変動にも、同じ構造が見られます。工場や自動車が排出する汚染物質による費用を地球全体で負担するため、それぞれの国や企業が自ら排出を減らそうとする動機は弱くなります。

日常生活でも簡単に見つけられます。共用の会議室を使った後に片づけないこと、共用の冷蔵庫に食べ物を長く入れたままにすること、公園にごみを置いて帰ることも、小さなコモンズの悲劇といえます。

インターネットでも似たことが起こります。多くの人が同時に共用Wi-Fiで大きなファイルをダウンロードすると全員の通信速度が遅くなり、誰でも投稿できる掲示板に広告の投稿があふれると、本当に必要な情報を見つけにくくなります。共同で使う空間であれば、どこでも同じ原理が働くというわけです。


悲劇を防ぐ方法

緑豊かな森と牧草地のそばの屋外テーブルに集まり、話し合う村人たち

ハーディンは、この問題を解決するには、政府が利用を規制するか、資源を分割してそれぞれの財産にする必要があると考えました。実際、多くの国が漁獲量に上限を設けたり、汚染物質を排出できる権利の売買を認めたりする方法で、この問題に対応しています。

しかし、別の道もあることを示す研究が登場しました。アメリカの政治経済学者エリノア・オストロムは、1990年の『コモンズのガバナンス(Governing the Commons)』で、世界各地の住民が自らルールを作り、牧草地や森林、漁場、地下水を長年にわたって適切に守ってきた事例を紹介しました。オストロムはこの研究によって2009年にノーベル経済学賞を受賞し、女性として初の受賞者となりました。

オストロムが見いだした成功した共同体には、いくつかの共通点がありました。

  • 明確な境界(Clearly Defined Boundaries):誰が資源を利用できるのかが決まっています。
  • 共同で作るルール(Collective-Choice Arrangements):資源を利用する人たちが、ルールを決める過程に参加します。
  • 互いに見守る監視(Monitoring):ルールがきちんと守られているか、構成員が共同で確認します。
  • 段階的な制裁(Graduated Sanctions):ルールに違反すると、軽い罰から段階的に重くなります。

結局、鍵となるのは、資源を利用する人たちの間に信頼と約束があるかどうかです。互いを信頼できれば、人々は目先の利益よりも、長く共同で使い続ける道を選びます。


コモンズの悲劇は、個人の合理的な選択が全員にとっての損失になり得ることを示す概念です。この概念を知ることで、海や森林、空気のように共同で使う資源をめぐる対立や政策を、より深く理解できます。

自分の利益とみんなの利益をともに考えること。それが、共同で使う資源を長く守る知恵の第一歩です。