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貴族の若者の卒業旅行、グランドツアー(Grand Tour)

最近の大学生は、卒業を前にバックパック一つを背負ってヨーロッパへ旅立つことがよくあります。列車に乗ってパリやローマ、ヴェネツィアを巡り、本でしか見たことのなかった絵画や遺跡を自分の目で確かめる旅です。ところが、こうした旅には何百年も前から続く古い原型があります。17世紀から19世紀初めにかけて、イギリスの貴族の若者たちが教育の仕上げとして出かけた長いヨーロッパ旅行、それが「グランドツアー(Grand Tour)」です。

グランドツアーとは、簡単に言えば「上流階級の若者が成人するころ、家庭教師とともにヨーロッパ大陸を巡りながら古典文化や社交の礼儀作法を身につけた教育旅行」を意味します。短くて数か月、長ければ数年にわたって続いたこの旅は、今日の観光の多くの姿を先取りした出発点と評価されています。

本資料では、グランドツアーの意味と由来から、代表的な旅のルート、旅行者たちが残した足跡、そして近代観光へとつながった変化までを順に見ていきます。

グランドツアーの旅行者、主な訪問地と学び、残した痕跡をつなげた説明図。主に裕福な若者と教師がフランスやイタリアの芸術・遺跡を訪れ、美術品の収集や記録を残し、経路は人によって異なった。
グランドツアーの主な特徴をまとめた説明図です。建築の絵は特徴を組み合わせた説明用の挿絵で、訪問地は代表例であり固定の移動順を意味しません。出典: The Metropolitan Museum of Art, The Grand Tour (2003)。原文出典

貴族の教育旅行から近代観光へ

グランドツアーとは何か?

18世紀の装いをした若いイギリス紳士と年配の家庭教師が、革のトランクを積んだ馬車のそばの石畳の道に立ち、後ろにはなだらかなヨーロッパの野原が広がっている様子

グランドツアーは、おおよそ1660年ごろから鉄道が広く普及した1840年代まで大いに流行した慣習です。主にイギリスの貴族や裕福な地主の家の若者たちが、21歳前後になると旅に出ました。

(1)名前の由来
オックスフォード英語辞典によると、「グランドツアー」という言葉が初めて記録されたのは、イギリス出身のカトリック司祭リチャード・ラッセルズ(Richard Lassels)の本『イタリアの旅(The Voyage of Italy)』です。この本は彼が亡くなったあとの1670年に出版されました。それより前の1613~1614年には、美術品の収集家として有名なアランデル伯爵(Earl of Arundel)が、のちに建築家として名を上げるイニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones)を案内役にしてナポリまでイタリアを旅しており、この旅がグランドツアーの重要な先例とされています。

(2)旅の目的
グランドツアーの最大の目的は、古代ローマとルネサンスの文化遺産を自分の目で見て学ぶことでした。写真のない時代だったので、有名な絵画や彫刻をきちんと見るには、それがある場所まで自ら出向くしかありませんでした。歴史家のエドワード・ギボン(Edward Gibbon)は、外国旅行がイギリス紳士の教育を完成させるとまで語っています。


グランドツアーの代表的なルート

18世紀の服装をした旅行者と従者たちが、分解した馬車の部品と荷物を抱えて狭い岩だらけの山道を登り、後ろに雪に覆われたアルプスの峰々と深い谷が見える様子

決まった道があったわけではありませんが、多くの旅行者が似たようなルートをたどりました。たいてい家庭教師が同行し、世間知らずの貴族の若者を連れて回るという意味から「熊使い(bear-leader)」というあだ名で呼ばれました。

  • パリ(Paris):当時ヨーロッパの上流階級の共通語だったフランス語に加え、ダンス、フェンシング、乗馬を学びながら社交の礼儀作法を磨きました。
  • アルプス(Alps):ジュネーヴのようなスイスの都市に滞在したあと、険しい山道を越えました。馬車を分解して荷物のように運ばなければならないほど、つらい区間でした。
  • イタリア(Italy):フィレンツェとヴェネツィアを経て、ローマで古代の遺跡や名作を学びました。18世紀半ばからは、ナポリまで南下して新たに発掘されたヘルクラネウムとポンペイを見て回ることもありました。
  • 帰路(Return Route):ドイツ語圏の都市やオランダ、フランドルを巡って美術コレクションをさらに訪ねたあと、イギリスへ戻りました。

旅行者たちが残した足跡

18世紀のローマの古代遺跡と崩れた大理石の柱のあいだで若い紳士がポーズをとり、そばで画家がイーゼルの前で絵を描いていて、地面には古代の彫像を収めた木箱が置かれている様子

グランドツアーは旅行者一人ひとりの経験で終わらず、ヨーロッパの美術市場と旅の文化に大きな足跡を残しました。

[事例1]記念品になった絵画と彫刻

旅行者たちは、本や美術品、科学機器、古代の硬貨や彫像を箱ごと買い込んで故国へ送りました。ローマの画家ポンペオ・バトーニ(Pompeo Batoni)は古代遺跡を背景にイギリスの若者たちの肖像画を描いて名を上げ、ヴェネツィアの風景を精密に描いたカナレット(Canaletto)の絵も大きな人気を集めました。こうした絵は、今日の旅行写真のように「行ってきた」という証でした。

[事例2]ガイドブックと旅行記の登場

18世紀半ばからグランドツアーのためのガイドブックが次々と出版され、都市の地図を載せた本も増えていきました。旅を終えた人々はそれぞれ旅行記を出し、こうした記録は次の世代の旅行者にとってもう一つの道しるべになりました。

[事例3]批判と固定観念

グランドツアーがいつも高い評価だけを受けていたわけではありません。いつも同じ場所ばかり回る退屈な旅だという批判があり、さまざまな国の人々に対する固定観念をかえって強めるという指摘もありました。イタリアを「美しいけれど過去にとどまった国」としてだけ描くまなざしも、このころに広まりました。


グランドツアーが近代観光へとつながった道

1840年代のイギリスの駅のプラットホームに、ヴィクトリア朝の服装をした一般の男女が集まり、初期の蒸気機関車と客車のそばで団体旅行に出発する準備をしている様子

19世紀に入って蒸気船と鉄道が登場すると、旅の姿は大きく変わりました。旅はより安く、安全で、手軽になり、貴族でない人々も出かけられるようになりました。19世紀後半には上流階級の若い女性たちも付き添い役とともにイタリアを旅し、工業化で豊かになったアメリカ人たちもヨーロッパの文化を学ぼうと大西洋を渡りました。アメリカの作家マーク・トウェイン(Mark Twain)は、こうした旅を愉快に皮肉った旅行記『赤毛布外遊記(The Innocents Abroad)』を1869年に出して大人気を博しました。

(1)団体旅行の始まり
1841年、イギリスのトーマス・クック(Thomas Cook)は、レスターからラフバラーまで列車を借り切り、約500人がそろって出かける団体旅行を企画しました。その後、彼はヨーロッパ大陸を巡る旅行商品まで作り、「クックのツアー(Cook’s Tour)」は大衆観光を象徴する言葉になりました。

(2)今日の旅に残る遺産
決まった名所を順番に巡る日程、ガイドブックとガイド、記念品の購入、旅行記を残す習慣は、どれもグランドツアーですでに姿を現していました。卒業旅行やバックパック旅行のように「旅で一回り成長する」という考え方も、その精神を受け継いだものだと見ることができます。


グランドツアーは一握りの貴族の特権でしたが、見知らぬ場所を自分の目で見て学ぼうとする気持ちだけは、今日の旅行者と変わりませんでした。移動手段は馬車から飛行機に変わっても、旅が人を広げてくれるという信念はそのまま残っています。

慣れ親しんだ場所を離れ、別の世界を学ぼうとする気持ち、それが良い旅の第一歩です。