炭酸飲料のふたを回した瞬間、「プシュッ」という音とともに、小さな泡がボトルの内側から絶え間なく上がってきます。閉まっているときは透明で静かだった飲み物が、ふたを開けただけでこれほど変わるのはなぜか、気になったことがあるかもしれません。変わったのはボトルの中の気体ではなく、ボトルの中の圧力です。
この現象をひとつの式で説明したのがヘンリーの法則(Henry's Law)です。一定の温度で液体に溶ける気体の量は、その液体に接している気体の圧力に比例するという法則で、飲み物の一本から深い海の潜水まで幅広く当てはまります。
この資料では、ヘンリーの法則が何を言っているのか、ダイバーの体内で何が起きているのか、そしてこの法則がうまく当てはまらないのはどんなときかを順に見ていきます。
圧力が気体を液体の中に留めておく仕組み
ふたを開けた瞬間に起きること

炭酸飲料は、二酸化炭素を高い圧力で押し込んで飲み物に溶かしたものです。この方法のルーツは、18世紀後半にイギリスのジョゼフ・プリーストリー(Joseph Priestley)が二酸化炭素を水に溶かして炭酸水を作ったことにさかのぼります。ボトル上部の空間には大気圧より高い圧力の二酸化炭素が満たされていて、その圧力が飲み物の中に多くの気体を留めています。
ふたを開けると、上の圧力が大気圧まで一気に下がります。新しい圧力ではそれだけ多くの気体を溶かしておけないため、余った二酸化炭素が小さな泡になって抜け出します。これが泡の正体です。振ってから開けた飲み物がより激しく噴き出すのは、振っている間にできた小さな泡が種になり、溶けていた気体が一度に集まってくるからです。開けたままの飲み物が時間とともに気が抜けるのも同じ理由で、気体が新しい圧力での平衡量に達するまで抜け続けるためです。

ヘンリーの法則が言っていること

この法則は、1803年にイギリスの化学者ウィリアム・ヘンリー(William Henry)が、圧力と温度を変えながら水に溶ける気体の量を測った実験から生まれました。結果は同じ年にイギリス王立協会の学術誌に掲載され、彼は圧力を2倍、3倍にすると水が吸収する気体の量も2倍、3倍になることを明らかにしました。式ではC = k × Pと書き、気体の濃度Cが圧力Pに正比例するという意味です。たとえば圧力が1気圧から4気圧に上がると、同じ温度で溶ける二酸化炭素の量も4倍になります。
- 溶解度(Solubility):一定量の液体に溶かすことのできる気体の量のことです。
- 分圧(Partial Pressure):複数の気体が混ざっているとき、そのうちの一つの気体が占める圧力で、法則は全体の圧力ではなく気体一つひとつの分圧について当てはまります。
- ヘンリー定数(Henry's Law Constant):上の式のkにあたる値で、気体と液体の組み合わせごとに異なり、温度によっても変わります。
同じ圧力でも、水によく溶ける気体と溶けにくい気体があるのは、まさにこの定数が違うからです。法則が教えてくれるのは、どれだけよく溶けるかではなく、圧力が2倍になれば溶ける量も2倍になるという比例関係です。
ダイバーの体内で起きること

ヘンリーの法則は、水中で働く人の安全とも直接つながっています。水深が10メートル深くなるごとに圧力はおよそ1気圧ずつ増え、空気を吸うダイバーの血液や組織には、増えた圧力の分だけ窒素がより多く溶け込みます。
問題は浮上するときです。あまりに速く水面へ上がると圧力が急に下がり、組織に溶けていた窒素が抜け出せないまま血管の中で泡になってしまいます。これが潜水病と呼ばれる減圧症(Decompression Sickness)で、関節の痛みや皮膚の発疹から、重い場合は麻痺まで引き起こすことがあります。
(1) ゆっくり浮上する
ダイバーは決められた速さでゆっくり浮上し、途中で止まって休みながら、体内の窒素が呼吸で抜ける時間をつくります。
(2) 窒素を別の気体に替える
とても深い場所で作業するときは、窒素の代わりにヘリウムを混ぜた気体を使うこともあります。ヘリウムは窒素より血液に溶けにくいからです。
(3) 圧力を元に戻す
すでに症状が出ている場合は、圧力を高めた治療用の部屋に入って体内の泡を再び溶かし、ゆっくり圧力を下げます。
この三つはいずれも、圧力が下がる速さを調節するか、気体が溶けにくくなるようにするという点で、同じ原理に沿っています。式ひとつが説明するのは、泡立つ飲み物だけでなく、人の体の中で起きていることでもあります。
法則が当てはまらない場合

ヘンリーの法則は、条件がそろえばよく当てはまる法則であり、どこでも通用するわけではありません。実際の溶液では、気体分子が液体分子とどう絡み合うかによって、比例関係が少しずつずれるからです。どんなときにずれるかを知っておけば、値を読み違えずにすみます。
(1) 温度が変わるとき
同じ圧力でも、液体が温まると気体は概して溶けにくくなります。ぬるくなった炭酸飲料が気が抜けやすいのも、ヘンリー定数が温度によって変わるからです。
(2) 液体と化学反応を起こすとき
塩化水素やアンモニアのように、水と反応してイオンに分かれる気体は、単純な比例関係から外れます。溶けた気体の一部が別の物質に変わっているためです。
(3) 圧力がとても高いときや濃度が濃いとき
気体がきわめて高い圧力にさらされたり、多く溶けて溶液が薄くなくなったりすると、比例関係が崩れます。法則は、薄い溶液とそれほど大きくない圧力で最も正確です。
一方、深い水ほど圧力が高く、二酸化炭素が多く溶けていることがあるという点は、自然界でも危険になります。1986年にカメルーンのニオス湖では、湖の深部にたまっていた二酸化炭素が突然噴き出し、少なくとも1,700人が亡くなりました。気体が溶けているということは、いつでも放出されうるということでもあります。
法則がどこまで当てはまるかを知ることは、法則そのものを知ることと同じくらい大切です。条件をわきまえて使う法則がもっとも信頼できます。目に見えない気体が圧力によってどれだけ留まり、どれだけ去っていくかを読み取る目、それがヘンリーの法則の第一歩です。