街角で助けを求める人に出会うと、多くの人は一瞬ためらいます。本当に困っているのだろうか、自分が渡したお金はきちんと使われるだろうか、という思いが頭をよぎるからです。150年あまり前、イギリス・ロンドンの人々も同じ悩みを抱えていました。慈善団体は何百もありましたが互いに連絡がなく、ある人はいくつもの団体から重ねて援助を受け、ある人は一度も援助を受けられませんでした。この混乱を整理しようと立ち上がった団体こそが「慈善組織協会(Charity Organization Society)」です。
慈善組織協会とは、簡単に言えば「散らばっていた慈善団体を一つにまとめて援助が重なったり漏れたりしないよう調整し、助けを求めた人の事情を直接訪ねて確かめたうえで、ふさわしい援助につなげていた民間団体」を意味します。よくCOSと略され、今日のソーシャルワーカーが一人ひとりの事情を見ていく個別援助の実践のルーツとされています。
本記事では、慈善組織協会が生まれた背景から、友愛訪問員の活動、社会福祉の専門職へとつながった歩み、そして今日の評価までを順に見ていきます。
散らばった慈善を一つにまとめた慈善組織協会

あふれる慈善、行き場を失った援助

慈善組織協会は1869年、イギリスのロンドンで設立されました。工業化によって都市の貧しい人々が大きく増えると、教会や裕福な市民が競うように慈善団体を立ち上げましたが、団体ごとにばらばらに動いたため、さまざまな問題が生まれました。協会をつくった人々は、それを次のようにとらえました。
(1)重なる援助と漏れる援助
一人の人がいくつもの団体を回って同じ援助を繰り返し受ける一方で、本当に差し迫った事情のある隣人はどこにも名前が載っていませんでした。
(2)事情を知らずに渡すお金
助けを求めた人の暮らし向きを確かめずに渡すお金は、貧困から抜け出させるよりも、援助に頼る習慣を育てるだけだと考えました。
(3)調整する場の不在
団体どうしが情報を共有する窓口がなく、誰がどんな援助を受けているのか誰にもわかりませんでした。
そこで協会は地区ごとに委員会を置き、助けを求めた人の記録を一か所に集めて、団体がともに参照できるようにしました。今で言えば、支援対象者の情報を共有する共同窓口を初めてつくったことになります。この記録のおかげで、団体は同じ家庭に繰り返しお金を送ることを減らし、浮いた資源をまだ援助を受けていない隣人に回せるようになりました。
一軒一軒を訪ねた友愛訪問員

協会の活動の中心には友愛訪問員(Friendly Visitor)がいました。主に中流階級の女性ボランティアだった彼女たちは、貧しい家庭を直接訪ねて暮らしぶりを確かめ、家計のやりくりや仕事について助言しながら、長く関係を続けていきました。
- 事情の調査(Investigation):家庭を訪問し、家族の人数、収入、健康、仕事といった事情を丁寧に確かめました。
- 記録の共有(Registration):調べた内容を記録しておき、ほかの団体と共有して援助が重ならないようにしました。
- 継続的な訪問(Visiting):一人の訪問員が二、三の家庭を受け持ち、1週間か2週間に1回ずつ訪ねて変化を見守りました。
住宅改良運動家のオクタヴィア・ヒル(Octavia Hill)は、貧しい隣人に必要なのはお金よりも友人だと語り、こうした訪問活動に大きな影響を与えました。この方式は、1877年にスティーブン・ハンフリーズ・ガーティーン(Stephen Humphreys Gurteen)牧師がアメリカのバッファローに最初の協会を設立したことで大西洋を渡り、その後アメリカの各都市へ急速に広がりました。
奉仕から専門職へ、メアリー・リッチモンドの足跡

訪問活動が積み重なるにつれ、善意だけでは足りないという声が大きくなりました。その中心にいたのが、アメリカのボルティモア慈善組織協会で働いていたメアリー・リッチモンド(Mary Richmond)です。リッチモンドは1897年に訪問員を体系的に教える学校が必要だと訴え、翌年ニューヨークで夏期講座が開かれて、社会福祉の教育が始まりました。
リッチモンドは1917年に『社会診断(Social Diagnosis)』を出版して、事情を調べて判断する過程を初めて体系的にまとめ、1922年には『ソーシャル・ケース・ワークとは何か(What Is Social Case Work?)』でその意味を説き明かしました。一人の事情を集め、その原因を判断し、ふさわしい援助を計画するこの流れは、今日のケースワーク(Social Casework)とケースマネジメントの土台となりました。
光と影、今日の評価

慈善組織協会は社会福祉の出発点として高く評価されていますが、限界もはっきりしていました。協会は援助に値する貧しい人とそうでない人を分けることに力を注ぎ、貧困の原因を怠けや浪費といった個人の性格に求めることが多くありました。同じ時期に貧しい地域に移り住んで住民とともに暮らし、社会改革を訴えたセツルメント運動とよく比べられる理由もここにあります。丁寧な調査が助けを求めた人に屈辱感を与え、急ぎの援助をかえって遅らせるという批判も受けました。
二つの流れの違いをまとめると、次のとおりです。
- 見る目(Perspective):協会は貧困の原因を個人と家庭に求め、セツルメント運動は低い賃金や劣悪な住まいといった社会環境に求めました。
- 援助の方法(Method):協会は家庭を訪ねて事情を調べ助言し、セツルメント運動は地域でともに暮らしながら教育や集まりを運営しました。
- 残した流れ(Legacy):協会はケースワークへ、セツルメント運動はグループワークとコミュニティ・オーガニゼーションへつながったと、よく説明されます。
今日まで続く遺産
それでも、事情を丁寧に確かめ、記録を残し、複数の機関が力を合わせる協会のやり方は、今の社会福祉の現場にそのまま生きています。ロンドンの協会は1946年に家族福祉協会(Family Welfare Association)と名前を変えて活動を続けました。
援助を差し出す前に、まずその人の暮らしをのぞき込もうとした心、それこそが人を助ける営みが専門的な実践として生まれ変わった歴史の第一歩です。