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スクリーンの中のあの場所へ旅する、フィルム・ツーリズム(Film-Induced Tourism)

好きな映画を観たあと、その場面に出てきた通りを実際に歩いてみたくなることがあります。主人公が座ったベンチに座り、同じ場所から同じ角度で写真を撮ってみたい気持ちです。画面でしか見たことのなかった風景を自分の目で確かめることは、それ自体が特別な体験になります。

このように映画やドラマに登場したロケ地を訪ねたり、撮影スタジオや映像作品をもとにしたテーマパークを巡ったりする旅を「フィルム・ツーリズム(Film-Induced Tourism)」といいます。映像観光、ロケ地観光とも呼ばれ、富裕層の豪華な海外旅行を意味するジェットセッティング(Jet-Setting)をもじったセットジェッティング(Set-Jetting)という愛称でも呼ばれます。

本稿では、フィルム・ツーリズムが生まれる仕組みと世界各地の代表的な事例、地域がこの流れを活用する方法、そしてその後についてくる影の部分まで、順に見ていきます。


スクリーンの中のあの場所へ旅する、フィルム・ツーリズムの世界

架空のドラマに登場する路地を例に、観客が画面での露出から場所への好感、訪問の検討へと進むフィルム・ツーリズムの流れ。実際に訪れるかどうかは時間・費用・アクセスによって変わり、地域の消費機会と混雑・住民の不便・環境負荷を分けて示している。
架空の事例を用いた説明用の概念図です。条件によって起こりうる可能性を示すもので、結果を保証するものではありません。出典:UNWTO・Netflix(2021)およびVisitBritain。

人はなぜロケ地を訪ねるのか

ヨーロッパの古い街の穏やかな運河沿いにある木のベンチに座った若い旅行者が、スマートフォンを掲げて風景を撮っている様子、水辺に沿って古いレンガ造りの家と自転車が並んでいる

フィルム・ツーリズムは、一本の作品がある場所を心に深く刻み込むところから始まります。一本の広告よりも二時間の物語のほうがはるかに長く記憶に残るからです。人々がロケ地を訪ねる理由は、大きく三つに分けられます。

(1)風景に惹かれる
画面に映った海や山、古い城のような風景そのものが美しいから訪ねます。作品がその場所のいちばん素敵な姿を先に見せてくれたといえます。

(2)物語に惹かれる
作品の中の出来事や登場人物の感情が宿る場所だから訪ねます。同じ路地でも、主人公が別れた場所だと思うとまったく違う意味を持つようになります。

(3)俳優とファン心理に惹かれる
好きな俳優が実際に立っていた場所だから訪ねます。ファンはその場所で場面をまねた写真を撮り、作品と自分をつなげてみます。

観光地を知らせるために特別に作った宣伝物ではないという点も重要です。観客は物語を楽しむうちに自然とその場所に心を奪われるため、作品は意図せぬ強力な観光ガイドになります。2005年にオーストラリアの観光学者スー・ビートン(Sue Beeton)が『フィルム・ツーリズム(Film-Induced Tourism)』という本を出し、この現象を本格的な研究対象として整理したのもそのためです。


世界を動かしたロケ地

緑の丘の斜面に小さな丸い扉がいくつも並び、色とりどりの庭が作られた田園風景、曲がりくねった砂利道を観光客が数人歩き、丘の上に大きな木が立っている

フィルム・ツーリズムは1990年代から観光の一分野として大きく注目されはじめました。1996年、英国政府観光庁は映画のロケ地を記したイギリスの地図を発行し、この流れを観光宣伝に初めて本格的に活用した機関となりました。

  • ロード・オブ・ザ・リング(The Lord of the Rings):ニュージーランドの山や野原が中つ国の風景として登場したことで、数多くのファンがニュージーランドを訪れ、ホビット村のセットは今も観光名所です。
  • ハリー・ポッター(Harry Potter):イギリスのアニック城は魔法学校の場面が撮影されたあと訪問者が大きく増え、ロンドンのキングス・クロス駅には作品に出てくる9と4分の3番線を模したフォトスポットが生まれました。
  • サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music):オーストリアのザルツブルクでは、映画の舞台を巡る観光商品が長く続いています。
  • 冬のソナタ(Winter Sonata):2002年に放送されたこのドラマのおかげで、江原道春川の南怡島は日本やアジア各国の観光客が訪れる韓流観光地として浮上しました。

このようにフィルム・ツーリズムは、すでに有名な場所の訪問者を増やすこともあれば、ほとんど知られていなかった場所を一夜にして観光地に変えることもあります。作品が終わって数十年たってもファンの足が途絶えないという点で、一本の作品は地域に長く残る観光資源になります。


ロケ地を観光資源にする方法

古い石造りの城の前の石畳の広場で、観光ガイドがいくつもの場所が記された大きな紙の地図を観光客の一団に広げて見せながら説明している様子

作品が公開されたからといって、観光客が自然に長く訪れ続けるわけではありません。そのため多くの国や地域は、撮影の段階から観光を念頭に置いて動きます。

(1)撮影の誘致と支援
地域のフィルムコミッションが場所探しや許可、宿泊などを手助けして制作陣を呼び込みます。撮影費用の一部を払い戻す制度を設けている国も多くあります。

(2)ロケ地マップと観光コース
作品が公開されると、撮影場所を記した地図や、たどって歩けるコースを作り、観光客が訪ねやすいようにします。

(3)セットと小道具の保存
撮影に使ったセットを取り壊さずに残したり、場面を再現したフォトスポットや展示館を作ったりして、作品の余韻を長くとどめます。

(4)作品と連動した宣伝
作品の名前や場面を観光広告に一緒に使い、観客が画面の中の場所と実際の旅行先をすぐに思い浮かべられるようにします。作品が公開された直後の関心がいちばん高いため、公開や放送の時期に合わせて旅行商品をあらかじめ準備しておくのがよいでしょう。


フィルム・ツーリズムの影

高い石灰岩の崖に囲まれた熱帯の湾の青緑色の海に立ち入りを禁じるロープが張られ、木の遊歩道に立った数人の訪問者が海を眺めている様子

フィルム・ツーリズムがいつも歓迎すべき客だけを連れてくるわけではありません。作品の人気が一度に人を呼び寄せることで生じる問題も少なくありません。

  • オーバーツーリズム(Overtourism):狭い路地や小さな村に観光客が押し寄せて住民の日常生活が不便になり、家賃や物価が上がることもあります。
  • 環境破壊(Environmental Damage):タイのマヤ湾は映画『ザ・ビーチ(The Beach)』で有名になったあと一日に数千人が押し寄せて海の生態系が損なわれ、2018年6月に無期限で閉鎖して回復を図り、その後は厳しい制限を設けて再開しました。
  • 期待と現実の差(Expectation Gap):画面の中の風景は照明や編集で整えられた姿なので、実際の場所を見てがっかりする観光客もいます。
  • 短い流行(Short-Lived Boom):作品の人気が冷めると観光客も急速に減り、流行だけを頼りに建てた施設ががらんとしてしまうことがあります。

そのため、ロケ地観光を長く続けていくには、作品の人気だけに頼らず、その場所本来の歴史や自然、住民の暮らしをあわせて伝える努力が必要です。

フィルム・ツーリズムは、物語が場所に新しい意味をまとわせ、その意味が人を動かす過程です。画面の中の場面を越えて、そこに暮らす人々とその場所の時間をともに見つめること、それがよいロケ地の旅の第一歩です。