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旅にもキャリアが積み重なる、トラベルキャリアラダー(Travel Career Ladder)

初めて海外旅行に出かけるときは、日程や宿、食事まですべて用意してくれるパッケージツアーが安心です。ところが何度か行ってみると、路地を一人で歩いてみたくなったり、現地の人と話してみたくなったりします。同じ人なのに、旅を重ねるほど旅に求めるものが変わっていくわけです。

オーストラリアの観光心理学者フィリップ・ピアス(Philip Pearce)は、この変化に注目しました。職場でキャリアを積むと担う仕事や目標が変わるように、旅でも経験を重ねると動機が変わると考え、これを「トラベルキャリアラダー(Travel Career Ladder)」というモデルにまとめました。

本稿では、トラベルキャリアラダーが生まれた背景と5段階の動機、はしごを上り下りする仕組み、そして批判とそれを補ったトラベルキャリアパターンまでを順に見ていきます。


経験が変える旅の理由、トラベルキャリアラダーの構造と変化

トラベルキャリアラダーの五つの欲求レベル(休息、安全・安定、人間関係、自尊心・自己発達、自己実現・充足)を示した図。双方向の矢印は、経験や状況によって重要な動機が変わりうることを表し、後継のトラベルキャリアパターンは複数の動機の組み合わせに注目する。
トラベルキャリアラダー(TCL)の欲求レベルと、後継のトラベルキャリアパターン(TCP)の視点を比較した概念図。決まった昇格の順序や旅行者の優劣を意味するものではない。概念の根拠:Pearce & Lee (2005), Developing the Travel Career Approach to Tourist Motivation, Journal of Travel Research 43(3), 226–237. DOI: 10.1177/0047287504272020.

旅行動機をキャリアとして捉えたモデル

丘の小道の木の柵に立てかけられた古いバックパックと、その横に置かれた数枚の古い紙の切符とコンパスが日差しを浴びている様子

人はなぜ旅に出るのかは、観光学の古くからの問いです。ピアスは一つの理由を探すよりも、複数の動機が経験に応じてどう変わるのかを説明しようとしました。

(1)マズローから借りた骨組み
このモデルは、人の欲求が基本的なものからより高いものへとつながっていくというマズローの欲求階層説(Maslow’s Hierarchy of Needs)を、旅行に合わせて作り直したものです。

(2)研究とまとめの流れ
ピアスは1983年、同僚の研究者マリー・カルタビアーノ(Marie Caltabiano)とともに旅行者の体験談を分析し、この考えを初めて示しました。続いて1988年の著書『ユリシーズ・ファクター(The Ulysses Factor)』で、トラベルキャリアラダーという名前でモデルを整理しました。

(3)キャリアというたとえ
会社員がキャリアによって異なるポジションから出発し、異なる目標を持つように、旅行者も積み重ねた経験によって出発点や望むものが変わるという意味が込められています。


はしごの5つの段階

日差しの当たる白い壁に5段の木のはしごが立てかけられ、下には登山靴、上の方には麦わら帽子が掛かっている様子

トラベルキャリアラダーは、下から上へ5段階の動機を並べます。下の方は心と体の基本的な願いで、上に行くほど自分を伸ばし、深く没頭したいという願いになります。

  • 休息(Relaxation):日常の疲れを癒やし、よく食べてよく休みたいという最も基本的な動機です。
  • 安全と刺激(Safety and Stimulation):安全を確保したうえで、新しくわくわくする体験を味わいたいという動機です。
  • 関係(Relationship):家族や友人と情を分かち合ったり、旅先で新しい人と知り合ったりしたいという動機です。
  • 自尊心と自己啓発(Self-esteem and Development):新しい技術を学び、特別な関心事を深く掘り下げて自分を伸ばしたいという動機です。
  • 自己実現(Fulfilment):旅に深く没頭し、長く夢見てきたことを成し遂げ、人生の意味を見つけたいという動機です。

ピアスは、各段階に自分自身に向かう願いと他者に向かう願いが共にあると考えました。同じ関係の動機でも、一人で新しい友人を作りたい人もいれば、家族との時間のために出かける人もいるということです。


はしごを上り下りする仕組み

日差しあふれる古い路地を紙の地図を手に一人で歩いていく旅行者の後ろ姿と、道端の花の鉢

このモデルの核心は、旅の経験が積み重なるほど動機の重心が上の方へ移っていくという考えです。

(1)経験が増えると上を望む
初めて旅をする人は安全と休息をまず重視しますが、経験が多くなるほど文化を深く理解したり、自分を試したりする旅を求める傾向があると考えます。

(2)複数の動機が同時に動く
ピアスは、下の段階をすべて満たさなければ上に進めないとは考えませんでした。旅行者は複数の段階の動機を同時に持っており、その時々でそのうちの一つが際立つにすぎません。

(3)上るだけではない
人によって出発する段階は異なり、年齢や同行者、健康や経済状況によって、はしごを下りることもあります。バックパック旅行を楽しんでいた人が、子どもと一緒のときには再び快適な休息を選ぶのがその例です。

パッケージツアーから個人旅行へ

初めての海外旅行では団体観光で安心して回っていた人が、何度か経験を積んだ後、自分で日程を組む個人旅行へと移っていく姿は、このモデルが説明しようとする典型的な流れです。


批判とトラベルキャリアパターン

明るい緑の棚田で、数人の旅行者が現地の農家の人と一緒に田植えをしながら笑う文化体験の場面

トラベルキャリアラダーは広く引用されましたが、その分鋭い批判も受けました。

(1)はしごという名前の誤解
「はしご」という言葉のせいで、一段ずつ順番に上らなければならないという意味に読まれやすくなりました。1998年、観光学者クリス・ライアン(Chris Ryan)はこのモデルを丹念に検討し、経験が積み重なるほど動機が上へ移るという考えを実際のデータではっきり示すのは難しいという限界を指摘しました。

(2)はしごからパターンへ
ピアスは2005年、イ・ウクイル(Uk-Il Lee)とともにこのモデルを改め、「トラベルキャリアパターン(Travel Career Pattern)」を発表しました。段階の階層よりも、複数の動機が組み合わさる形に注目したものです。

(3)変わった結論
新しい研究では、日常からの逃避、休息、関係の強化、自己啓発が、経験に関係なくすべての旅行者の中心的な動機として現れました。経験豊富な旅行者ほど、現地の文化を深く体験したり、自然に親しんだりする動機をより重視していました。


トラベルキャリアラダーは、旅行者を一度決まったら変わらないタイプとしてではなく、経験とともに成長する存在として捉えるきっかけになりました。だからこそ観光地や旅行会社は、同じ客でも経験に応じて異なる商品を勧めることができます。

これまでの旅が今の自分をどこへ導いているのかを振り返ること、それが自分にぴったりの次の旅を見つける旅の第一歩です。