体調が悪くて病院を訪れたのに、医師から薬の代わりに近所の菜園サークルや合唱団を勧められたら、どう感じるでしょうか。少し耳慣れない話ですが、実際にさまざまな国の保健医療の現場では、こうした処方が少しずつ増えています。体の症状の背後に、孤独や暮らしの困難が隠れていることが多いためです。
社会福祉学では、このように医療の現場で出会った人を地域社会の活動やサービスにつなぎ、健康と生活の質を高めようとするアプローチを「社会的処方(Social Prescribing)」と呼びます。薬や治療だけでは解決できない問題を、人とつながりの力で共に解決していこうという考え方です。
本資料では、社会的処方とは何か、その登場の背景、処方が行われる過程、実際にどのような活動が処方されるのか、そして期待される効果と残された課題まで、わかりやすく整理します。
社会的処方を理解する
社会的処方とは何か

社会的処方は、医師や看護師などの保健医療の専門家が患者の話を聞き、健康に影響する社会的な問題を共に探ったうえで、適切な地域資源につなぐ活動です。ここで処方されるのは錠剤ではなく、集まり、運動、相談、ボランティアといった、人と人との間で行われる活動です。
このアプローチは、健康は病院の中だけでつくられるものではないという考えから出発しています。所得、住居、仕事、人との関係など、暮らしを取り巻く条件を健康の社会的決定要因(Social Determinants of Health)といいますが、社会的処方は、まさにこうした条件に働きかけようとする試みです。
そのため、社会的処方は医療に代わるものではなく、医療を補完するものです。必要な治療を引き続き受けながら、その人が再び日常生活や近隣の人々との関わりの中で力を得られるよう、橋渡しをする役割を担います。
なぜ社会的処方が登場したのか

社会的処方が注目されるようになった背景には、いくつかの流れが重なっています。
(1)孤独と孤立の増加
ひとり暮らしの人や高齢者人口が増えるにつれ、社会的孤立が健康を損なう問題として浮上しました。英国では2018年に孤独問題を担当する大臣を任命するほど、この問題を重く受け止めました。
(2)頻繁に病院を訪れる理由の変化
プライマリ・ケアの現場では、医学的な治療を求めるというよりも、暮らしの困難や心の問題を理由に病院を訪れる人が少なくないという指摘が続いていました。
(3)慢性疾患とメンタルヘルスの問題
長期的な管理が必要な疾患や抑うつ気分への対応には、薬だけでは限界があるため、生活習慣と人間関係を併せて変えていく方法が必要になりました。
こうした背景のもと、英国の国民保健サービス(NHS)は2019年の長期計画に社会的処方を盛り込み、これを専任で担当する人材をプライマリ・ケアの現場に配置し始めました。
処方はどのように行われるのか

社会的処方は通常、いくつかの段階を経て行われます。まず、医師や看護師、ソーシャルワーカーなどの専門家が相談の中で社会的な支援を必要としていそうな人に気づき、支援につながることを勧めます。
次に中心的な役割を担うのが、連携担当者(Link Worker)です。連携担当者は、一人ひとりと十分に時間をかけて対話し、その人にとって何が大切か、どのようなことが楽しいか、何が障壁になっているかを共に探ります。ここで大切な問いは、「どこが痛みますか?」よりも「あなたにとって大切なことは何ですか?」に近いものです。
こうして見つけた目標をもとに、連携担当者は地域の団体や集まり、公的サービスの中から適切なものを選び、つなぎます。初めて参加することに難しさを感じる人には、一緒に訪ねたり、改めて連絡したりして、なじめるように支援することもあります。決まった答えを渡すのではなく、自分で選んだ活動を長く続けられるよう、そばで支える過程です。

どのような活動が処方されるのか

社会的処方によってつながる活動は地域によって異なりますが、おおむね次のような種類に分けられます。
- 芸術処方(Arts on Prescription):絵画、音楽、合唱、工芸のサークルのように、一緒につくり、表現する活動です。
- 緑の処方(Green Prescribing):菜園づくり、森の散策、公園の整備のように、自然の中で体を動かす活動です。
- 運動処方(Exercise on Prescription):ウォーキングの集まりや地域の体育施設のプログラムを通じて、継続的に体を動かせるよう支援します。
- 生活支援(Practical Support):借金や住まいの相談、仕事の情報、ケアサービスのように、暮らしの負担を軽くする支援です。
これらの活動に共通するのは、人を再び近隣の人々と出会わせることです。ひとりで耐えていた問題を共に分かち合う場そのものが、心を軽くし、生きていく力を与えてくれます。
研究では、社会的処方が孤独や抑うつ気分を和らげ、生活の満足度を高める可能性があるという結果が出ていますが、効果を正確に測る方法がまだ十分に整っていないという指摘もあります。また、処方を受け入れる地域団体の基盤がしっかりしていなければ、つなぐ先がないという限界もあります。結局、社会的処方がしっかり根づくには、医療と福祉、地域社会が共に手を取り合う必要があります。
社会的処方は、つらさを体だけの問題として捉えず、その人の暮らし全体に目を向ける温かなまなざしです。病気を治すことと、人を再びつなぐことが結びつくとき、健康はより長く保たれるようになります。
人と人を再びつなぐこと、それが健やかな暮らしを取り戻すための、癒やしへの第一歩です。